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Ayako Ogawa 小川斐子
Voice


でくさんについて
1970年上京 本格的にコントラバスのレッスンを受ける。
1970年代後半より即興演奏集団「ニュージャズシンジケート」に参加。この間東京他で舞踏家詩人演劇人等と多数共演する。1980年代 副島照人さんの紹介によりパーカッショニスト富樫雅彦氏の付き人として2年間コンサートレコーディング等を傍らで見聞させてもらう。1990年代帰函し、地元で演奏活動開始。「妻あや」との即興演奏活動とともに、自然に集まった多数のアジアアフリカ中南米等の楽器を持参し、こどもや大人問わず「楽器あそび(自由な集団即興)」を行う。敬愛する宮澤賢治さんの世界や、いろいろな表現をする人々との出会いを楽しみに活動中。「でく」という呼び名は子ども達にもおぼえやすくと思い、賢治さんの「デクノボー」からいただきました。ライブも楽器遊びも数えきれない。
星めぐりの歌 鳥の歌、ナバホの子守唄などをよくひいていました。
時にはたらいに水をはって、どらをその中でたたいたり。色々な国の人々の生活の中から出てきた楽器のおもしろい音が好きで、、。
高校のときには柔道で北海道ベスト4。陸上では短距離100メートル、砲丸投げが得意だったそうです。
’僕は眠っているあいだ夢をまったく見ないんだけど、楽器を弾いてる時にきっと夢を見てるんですよ’と言っていた。
そんなでくさんと、2018年10月13日、星となるまで、音を出す場所に一緒にいた。
でくさんは今もどこかで音を出しているでしょう。
その音は、たしかに、’きこえてくるよ’。
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